人とか機械とか

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機械の動力のオンオフはエンドユーザーが掌握するべきではないか?


完全な電源遮断ができないPCは、設計ミスだと思う。たとえばMacBookAir。

どこかの回路が変な状態になってしまって、リセットも効かなくなり、電源断しか手段がなくなることがある。実際、起動しなくなったMacBookの初代Unibody、MB466J/Aを最終手段であるバッテリ取り外しで復帰させたことがある。現行モデルはAirじゃないほうのMacBookでもバッテリ取り外し不可能になっている。
PC自作したことがある人なら、再起動とシャットダウンと電源ケーブル引っこ抜くことの違いがわかると思う。
ウルトラブックなどのスリム系ノートPCもそうだが、スマホやタブレットなんかも同じ事情がある。


バッテリを物理的に取り外せなくてもBIOSから遮断できるようにするとか、スイッチをつけるとか、もしくはBIOSから"バッテリ放電ツール"みたいなものでCPUを空回りさせてバッテリ放電させるとか。PhenixやAMIはその辺も考えて欲しい。

起動できなくなったならまだしも、ウイルスか何かで暴走したらもっとまずいことになる。バッテリが切れるまで暴走し続けることになる。エヴァンゲリオンみたいに。

そうなったらもはや、究極の最終手段を使うしかない。「窓から投げ捨てる」



機械の心臓は、エンドユーザが握っていなければならないと思う。
西暦2011年に於いては機械に人権はないので、
人間、エンドユーザーの意志によって動力を絶つことが可能な状態に置く必要がある。
動力を絶つことのできないような機械を生産・販売すべきではないし、
動力を絶つことのできないような機械を購入・所有すべきでもない。

法律で定めたほうがいいんじゃないかな。「機械倫理」みたいな。

たとえばクルマならキー回せばエンジン止まるし、油圧ブレーキがなくてもサイドブレーキがある。