体験や立場が,自己イメージや物事の理解に影響する話。あと民主主義(1)
人間には「自己イメージバイアス」とでも言うような認知バイアスが存在するぽい。 それが実態や他者からのイメージと乖離するときに問題が起きているぽい。
彼の研究は、白人女性に没入型VRテストを施し、黒い肌をもつアヴァターを与えるというものだった。「その視点から物事を見ることによって、彼女たちの偏見は顕著に弱まりました」とイヴァノヴィッチは言う。
https://twitter.com/terrakei07/status/982185331402293250twitter.com
自己イメージへの影響
自己イメージに影響を及ぼす要素のうち容姿に関するものとしては
- 自身の容姿を自身がどう感じるか。
- 自身の容姿が他者へ与える影響をどう見積もり、それを自分がどう感じるか。
- 自身の容姿に起因する、他者から実際に受けた影響。
「自身の外見が人を作る」。脱オタクファッション等、「おしゃれをしたら性格が変わった」というのもよくある話。学校の制服やリクルートスーツなどは、作業上の機能面もさることながら、意識付けの側面も強いのだろう。「コスプレの醍醐味とは何か」といった考察とも関係しそう。
物理的肉体の容姿はそう簡単には変えられない。整形手術という手段もあるが抵抗感があるしコストもかかる。このため、自己イメージも変えられない。しかしVR(バ美肉)なら比較的にコストは低い。肉体改造も伴わない。これによって自己イメージを変えることができる。
例えば典型的には、
- 男性はその容姿から「加虐するつもりなんてないのに加虐的にみられてしまうことが苦痛」
- 女性はその容姿から「性的な目で見られてしまうのが苦痛」
といった悩みを抱えていることも多いのでは。そういった苦痛もVRの中であれば緩和できる。
物事の理解への影響
僕の今までの人生経験上「人間の意思決定は、考えたり想像した事や見聞きしたり教わったことよりも、実際に身をもって体験した感覚的なことのほうが支配的」と感じる。それとも一致する。*1 例えば、「鬱は甘え」と論じていた人が、いざ自身が鬱にかかって初めて病気の辛さを知った。といったように。
もちろん、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というケースもある。震災であれだけ苦労したのに数年経ってもう意識が下がってしまった、嘆かわしい、といった事例がある。
VRはいままでの「見聞き」とは次元が違う。テレビや映画といった画面への客観ではなく「主観」に感じるからだ。それに平衡感覚、高所に居るような感覚など、感覚が騙されることも、体験の強度に寄与していると思う。
民主主義は説明し理解を得ることにコストが必要なんだけど、VRによってその説明コストが下がったり理解度が高まったりするのではないだろうか。