人とか機械とか

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マイノリティー・レポート

よく見ないからよく知らないけど、ニコニコ生放送には、リスナーが多い放送(生主)がある。そこのリスナーになったり、人気放送を話題にしたりすることで、大勢の人と共有感を得て、そこが世界の中心のように感じることができるらしい。

でも逆に言うと、そういった「人の多く集まる場所」に好んで集まる人というのは、それを基準にしか物事を見られなくなってしまいがちだと思う。そして、それは排他的な思想になっていく。

例えば、リスナーが少ない放送は枠のムダだろ放送やめろとか、コメントゼロで放送してる奴ってなんなの?だとかそういう思想になっていく。余計なお世話です。

人の少ない環境で暮らす自分からは、そう見える。それがいわゆるサイバーカスケードなのか。口数が少ないというだけで通知表の評価が下がるわけじゃないし、例えば「首都圏」というのは、あくまで「地方」の一種でしかない。

自分は、こういう立場を生かしたほうがいいのかな?自分はこういう性格をしているっていう自覚はあるけど、会社や社会的な立場で実際に行使することはあまりなく、「なんか間違ってると思うんだけどなあ・・・」と思いつつも流されて同意してたりする。

その点、ひろゆき氏は強い意志(?)を持っているらしく、場の流れに同調して同じ意見を言うのは、僕じゃなくても誰でもできますよね、それは僕の役割じゃない。と。僕はただ、材料を集めて「論理的に考えるとこうなりますよ」っと言うことを言ってるだけです。それは別に、誰にでも論理的に考えればできるハズなんですけど、なぜかそれをやる人があまりいないんですよね。っていう。

ひろゆきが好きなのはいいんだけど、それに偏りすぎるのも良くないよなあ。なんかもっと、尊敬できる人のタイプを増やしたほうがいいかも。