人とか機械とか

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ニコニコ動画 ボカロ隔離 その後

http://d.hatena.ne.jp/sea-show/20091101
以前、ニコニコ動画が(9)にバージョンアップした際の、いわゆる「御三家」(東方・アイマス・ボカロ)カテゴリの新設・隔離をテーマに記事を書いたが、その後どうなったか。


http://ascii.jp/elem/000/000/487/487412/index-5.html

。「音楽」と「ボカロ」が別のカテゴリーになって、音楽タグでボカロを登録すると「ボカロは出て行け」と言われてしまう。

http://ascii.jp/elem/000/000/488/488683/index-3.html

「隔離です」と言われると違和感はある。
いまはどのタグを付けてますか?
津久井 「ボカロ」です。とりあえず便宜上、摩擦を生まないじゃないですか。
―― でも不特定多数に向けるなら「音楽」でやるべきとは思いませんか?
津久井 見ている人がカテゴリー云々で言い争うのが嫌なんですよ。そういう話を延々コメントでされても、次につながらない。それでおとなしく今は隔離に従っている感じです。

やはり、クリエーターの視点からすると憤りを感じる人がいるようだ。不特定多数に音楽を聞いて欲しいというクリエーターもいて、「萌え」や「キャラ路線」とは無縁な作品作りをしている。そういう場合は「音楽」タグを付けたいんだけど、ボーカロイド嫌いなユーザーも居るわけだから叩かれる。クリエーターとしては、運営にもユーザーにも、ボカロだからと言って「萌え」のレッテル貼ってくれるなと言いたいんだろうけど。まあ一般的な視点からするとそういう分類になっちゃってるよねっていうのが現状だと思う。ゴシックロリータをやる人が、コスプレと一緒にされることに憤りを感じるのに似ている。

ひろゆき氏が「萌えだから隔離です」と言ったのは、誤解を恐れず端的に説明しただけだと思う。記録に残って文字になってしまうと、さも「熟慮して出た発言」のように受け取ってしまいがちなんだけど、生放送だったし短くまとめただけだろう。ボカロの萌え・キャラ面だけでなく、創造性の面も理解はしてると思う。そして、こういったクリエーターの反発も予想していたはず。だけど、その反発以上に、ボカロを隔離しないでいることによる、音楽カテゴリ内のユーザーの確執を憂慮しての判断だったのではないだろうか。まあ、たしかにひろゆき氏はエロや萌えに走るオタクが嫌いってのもあるけど。

それに、ニコニコ動画の立場というのは、音楽クリエーターというのは数あるコンテンツ提供者の中の1人でしかないわけで優遇するわけにも行かないだろう。「動画コミュニティサイト」としての「多様性」を許容したいがための、隔離。いろんなものを受け入れられる心が広い人も居れば、狭い人もいるからね。だから隔離が必要だった。

なんだか合衆国って感じだよね、異なる文化の人を一緒に共存させてる。たとえば、数年前まではアメリカは「クリスマス」と呼んでいた時期を、最近では「ハッピーホリデー」と呼ぶようになったそうです。なぜならキリスト教以外の人もいるから。複数の宗教の人を持つ国家として、政治的に正しい呼称ですね。まあほとんどがキリスト教だから、なんか2009年のクリスマスではまた「クリスマスと呼べ!」っていう反発運動が起こったみたいですけど。
http://blogs.dion.ne.jp/bunsuke/archives/519598.html

それだけニコニコ動画は大きくなったし、これからも大きくなるために、そういう方向に進んでいる。
かつてマイノリティーの居場所であったはずのインターネットは、もはやマジョリティになってしまったのである。