人とか機械とか

デジタルガジェットやコンピュータについてのブログです。

全能感と無能感

道具の進化による全能感。でも実際は何もできない無能感。それがニートを生んでいる。とかなんとかそんな話をどっかで聞いたような覚えがある。

ネットの放送はTV放送よりも身近な感じがする。コメントや電話ができたり、まれに出演者に読まれたりする。でも実際はそんな身近ってわけでもなく、一対多なわけで。なんか勘違いしやすい。

ひろゆきの発言は的を得て鋭いけど、普通の人がそれ言われたらやってらんないと思う。一緒に仕事したくないと感じるだろう。理解のある周囲の人とか、聞く側の能力とか、ひろゆき自体の地位があってこそ、その鋭い発言は成立する。

人間は得意不得意がある。得意なところ伸ばせばいいんじゃねーの。得意なことが役立つ場所に居たほうが、その周囲も嬉しいし自分もやってて楽しい。例えばタモリがサングラスをかけているのは、目が絵的にショボイからであり、それを隠すためである。大物だって人間だもの。


バカとハサミは使いよう」であり、「バカと天才は紙一重」である。
つまり、「天才とハサミは使いよう」という事である。


自分は何かいろいろ考えてるけど、頭の中と机の上からあまり出てない。考えすぎで、他の人が読めるまとまった文章にすらなってないレベルだったけど、なんか最近はようやくそのへんくらいまでにはまとまるようになった。習慣がついた。バグの露呈を恐れすぎて、「頭の中でデバッグしようとしすぎてしまい、いつまでも実機でデバッグしない」ような感じだったのが、「ある程度頭で考えたらもう実機で動かしてデバッグする」ようになった。程度の問題だろう。
仕事で意見を求められていろいろ提案するんだけど、なんか客観的に自分を見ると前のめりになってるんだよね。半分くらい的を得ていて、半分くらい間違ってる感じ。ある程度は収穫になっているので良しとされているのかと思う。たぶん。でも、人によってはそういった自分のやり方をよく思わない人もいると思う。もっとまとめてからにしろ、と。まあそんなの気にしてたら何もできなくなると思うけど。

一緒に考えたいし、一緒にデバッグしたい。議論もできる相手は貴重な存在で、もっと増やしたいです。


なんか、具体的な物事(事象)であっても、抽象化・汎化しすぎてしまいがちなので、もうちょっと具体的に考えるようにしたい。