「ニコニコ」の「初音ミク歌声」 「神の領域に」とネット騒然
http://www.j-cast.com/2008/05/02019791.html
初音ミクという神話のおわり
http://d.hatena.ne.jp/GiGir/20081207/1228685979
初音ミクは「キャラクター」としての面と「楽器」としての面それぞれを両立していて、クリプトン社の公式でもそういう展開をしていると思う。
このため「キャラクター」として見ているファンからすると、調教(ピッチなど声のパラメータを調整すること)が上手すぎて人間のように聞こえてしまうとミクとしてキャラ立ちしなくなるので難色を示すらしい。「楽器」として見るとVOCALOIDとしての本来の目的に近づいたんですけどね。
初音ミクは加工なしで「機械的無個性」な声のキャラ立ちをしているようです。また、声の元になった声優さんとは別物と認識されているようで、あのキャラクターイラストがイメージになっているようです。*1
Perfumeとヴォコーダー - 論理哲学論評
http://d.hatena.ne.jp/K_and_alfred/20090101/1230830737
Perfumeが口パクで叩かれているらしい。(加工しているのは知っていましたが、口パクって初めて知った。)それはまあ確かにファン感情的に叩きたくなると思う。なぜなら、PerfumeはVocoderやAutoTuneによる加工された「機械的無個性」な声でキャラ立ちをしています。そして、普通にTVなどに出演しているのであの人間がPerfumeなのだと認識されているようです。つまりあの人間からあの声が出ることがキャラ立ちなわけで、求められているイメージなわけです。それなのに口パクだったら怒りますよね感情的には。加工なしの声で歌っても怒ると思います。
人間性とキャラクター性
東浩紀 氏の「動物化するポストモダン」によると、TVの芸能人も家族も友達も全て同じ土俵で「キャラクター性」「キャラ立ち」という評価がなされるそうです。会話の中にも当たり前のように「それは私のキャラじゃないし・・」とか言うようになりましたね。現代人はたしかに、そんなような感覚を持ってるのかも知れません。つまり、「キャラが立っているかどうか」が問題なわけで「人間かどうか」等はどうでもよくなってきた時代なのです。そして、その「キャラ立ち」の幻想が崩れてしまうような事がバッシングされマイナスイメージとなるわけです。時代がガンダムからエヴァンゲリオンになったように。鈍る皮膚感覚。というわけで、初音ミクやPerfumeは時代を反映したものなのだなあと思う。富野監督的には憤りを感じる時代なのでしょうけども。
初音ミクもPerfumeも「機械的無個性な声」というキャラが立っている以上それを壊すとバッシングされます。初音ミクの場合は、ライブは不可能なので問題にはなりませんが、あまり調教しすぎて人間のような声になることが幻想を壊すことにつながってしまうようです*2。Perfumeの場合は、録音の場合は加工済みなので問題にはなりませんが、ライブにおいては技術的な壁のせいか(?)口パクになっていることが幻想を壊すことにつながってしまうようです。(リアルタイムAutoTuneってできないんですかね?技術的にはできそうですが。)
夢を壊しちゃいけないわけですね。壊すとファンが感情的になってしまうわけです。夢は思考では無いのですから「考えて分かるだろ」じゃ済まないのです。たぶん。